なけなしのくらげ

くらげはいつもなけなしの何かでどうにかこうにかしています。

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最近捨てた服

クローゼットをどうにかしたいと思ってもう一年以上経っている気がする。

もう減らせない服、限りあるスペース、全くない予算。
どうにかおしゃれにしたいけれど、使いやすさも大切。
もう無理。クローゼットが倍の広さあったら良かったんだけど。

服を増やした理由

夏に服を追加した理由は太ったからだった。 

www.kurage.online

 じゃあ太ってきれなくなった服はどうしたんだというと、捨ててない。
来年の夏は元の体重に戻してるんだ…。
だからまだ捨てないんだ…。
というものもあるけれど、この際捨ててもいいなぁ、というものもあるのも事実だ。

捨てることにした服

早速売ったり捨てたりした。

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背景はタピオカを意識しました。

『捨てたもの』とあるけれど、素材によってはウェスにしたものもある。
今回『太った』ということが大きな捨てるキッカケになったのだけれど、単純に着尽くして色あせやヨレが気になったいうのも理由の1つ。
服を健全に消費出来たな、と思えたのはとても良かった。

 

サラッと絵にまとめたけれど、実は捨てるのにかかったのは1日だけではなくて、何日もかけてやっと捨てれた。確かに太って入らないけれど、まだ綺麗だし来年着るかもしれないだとか、ヨレているけどここまでヘビーローテションで着ているこのアイテムを捨ててもいいのだろうか、とかたいそう悩んだ。服は買い直すと高額になることがあるので、簡単に手放すことは難しく、捨てる前にもう一度着てみたりなど、それはそれははっきりしない態度で挑んでいた。
だからこそ手放して後悔はないし、なんならちょっとした達成感を感じた。

 

さらに捨てた

他人から見たらもどかしさを感じる程の時間をかけて捨てていたので、
その間にすっかり涼しくなってしまった。天気予報によると、完全に秋になったわけではなく、まだ少し暑い日がところどころあるようだ。
それでもだいぶ涼しくなったことを感じた私は、此れ幸いにと衣替えついでにまだ捨てるアイテムはないかと、クローゼットを漁りはじめた。
(実際には狭いWICだから、衣替えといってもハンガーで吊るされているアイテムと無印良品ポリプロピレンケースに畳まれて入っている服を入れ変えるだけなのだけれど)

 

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ミニワンピは裏地を修理に出そうか悩んだが、そこまでして来年も着るだろうかと考えた末やっと捨てれた。実は去年の秋頃に破れてから、ずっとそのままだった。
そこまで放置しておいて、まだ着るかもだなんて悩んでいたのだから、私もなかなか物持ちの才能がある。
そのほかは明らかに着尽くしているものだった。
何故前回の捨て作業の時に生き延びたのかもわからない物ばかりで、気温の変化とは人の決断力や思考回路に大きな影響を与えるものだなと思った。自分の判断力の弱さは置いておいて。

靴においては、メルカリで売ろうと思ったものが売れなかったというのが今回捨てた理由だ。
私はかなりの靴好きで、特にショートブーツが好きなのだが、これがどうしても保管に場所を取られる。ぎゅうぎゅう詰めな靴箱は見ていて気持ちがいいものでは無いから、早くこの靴を手放して少しでも空間にゆとりを持たせたかった。
(一足減ったところでそこまで靴箱の余裕は変わらないから、捨てずに持っているという選択肢も優柔不断の私には十分にあったが、そんなこと言ってられないくらい、靴箱がぎゅうぎゅうになってきたのであった)

 

捨ててその後にあるもの

クローゼットに余裕ができた。実は書いていないが、他にもヨレヨレになったTシャツやトレーナーを部屋着に回したりと、色々降格作業をしており、だいぶ服が減った。
(私の部屋着はクローゼットとは別に置いてある)
靴箱も少しだけ空間ができた。

何回か言っているが、私は巷で言われている、ものを減らすと幸運が舞い込んでくるみたいな思想は持ち合わせていない。ただ、持ちすぎているより、自分で管理できる程度の数を所有している方がQOLは上がるから、そう言った意味では幸福になるのかもしれない。また、ものは幸せを運ばないという思想の人もいるが(そういう人は知識や経験が自分を幸せにしてくれるという価値観だ)、私はそれに限ったことではないと思う。なぜならば私は靴が大変好きで、素晴らしい靴は私を幸せにしてくれる。
靴箱の、重くて、濃い群青色の扉を開け、今日履いていく靴を手に取る瞬間はなんとも言えない幸福を私に与える。
それは私こんないけてる靴を持っている、という他人に対する自慢ではなくて、ただ素晴らしいものを手に取れるという自分の単純な所有欲が満たされる瞬間な気がする。
物の持ちすぎや持たなさすぎは、幸せの量とは直結しない。
そんなに簡単に全てのことに物の量がどうだとか関係つけれないだろう、人は忘れっぽいし人生は理不尽だしこの世は複雑なのだから。

自分でかっこいいことを言おうとしてだんだん何をいいたいのかわからなくなってきた。

何か考察しているつもりで、結局何も考えていない。

 

とにかく、捨てて、クローゼットがすっきりして良かったという話。

 

 

 

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